「いま、そこにあるビット幅拡張を!」

デジタル・ルック・ラボ  川上 一郎

  本稿は、(株)ユニワールド発行の月刊FDI 2013年4月号に連載した記事をWEB閲覧用に筆者が再編集したものである。

 

 さて、この連載も7年目に突入することになった。昨年末の政権交替で、メディア関連施策の動向も活性化してきたと感じている昨今である。補正予算で4K/8K放送の実用化に向けた大型補正予算が付くなど、韓国が先行している次世代映像・放送での主導権を再び日本に取り戻す施策である。NHKが進めてきた8Kスーパーハイビジョンの国際標準策定作業も無事終了し、欧州を主体としたITU(国際放送連合)で4K/8Kを包含した技術仕様に対する勧告:ITU-R BT.2020

(http://www.itu.int/dms_pubrec/itu-r/rec/bt/R-REC-BT.2020-0-201208-I!!PDF-E.pdf )

が公開されている。

 

 この、スーパーハイビジョンでは、映像信号のビット幅が12ビットまで定義されており、デジタルシネマでのビット幅を検討するときに各種の実験で裏付けられた視覚特性に基づいた階調範囲が再現可能となる。さて、家庭で視聴している地上波デジタル放送は、8ビットであり、かつ映像信号伝送系での正規信号範囲のみを使用していることから、階調再現範囲は220階調でしかない。DVDやブルーレイでは、映画作品を主体にして、スーパーブラックやスーパーホワイトと呼ばれる、拡張信号範囲を使用してオーサリングされている作品がある。DVDやブルーレイ再生機器が、この拡張帯域に対応していれば映像表現がより幅広い階調再現範囲で楽しめることになり、“解像度さえ拡大すれば新しい映像市場が拡大する!!”との営業主導の主張に対して、8ビットであればファームウェアの更新のみで対応できる“いま、そこにあるビット幅拡張を!”と題して解説する。

 

 表1が、ITU-R BT Rec.709と、前述のITU-R BT 2020で規定されている8・10・12ビットでの正規映像信号伝送範囲、拡張映像信号範囲、そして同期信号用信号範囲である。図1には、各ビット幅での正規映像信号範囲、拡張範囲、そして同期用信号の範囲を示している。

 

 
表1 CGデータ範囲と映像信号伝送範囲
ビット幅 CGデータ範囲 映像信号伝送範囲(RGB) スーパーブラック(RGB) スーパーホワイト(RGB)
下限値 上限値 階調数 下限値 上限値 階調数 下限値 上限値 階調数 下限値 上限値 階調数
8 0 255 256 16 235 220 1 15 15 236 254 19
10 0 1023 1024 64 940 877 4 63 60 941 1019 79
12 0 4095 4096 256 3760 3505 16 255 240 3761 4079 319
ビット幅 拡張映像信号範囲 YC'bC'R 同期信号帯域禁止範囲
下限値 上限値 階調数 下限値 上限値 階調数 下限 上限
8 1 254 254 16 240 225 0 255
10 4 1019 1016 64 960 897 0-3 1020-1023
12 16 4079 4064 256 3840 3585 0-15 4080-4095

 

 8ビットでは、CGデータでの0〜255の数値範囲に対して、0と255の上下限ビットが同期信号用として割り当てられていることから、スーパーブラック・スーパーホワイトの拡張範囲まで利用すれば254階調が利用できることになる。ただし、通常の映像製作では拡張範囲を使用すると映像納品時での信号チェックで、放送事故(同期信号領域を含む映像が送出されると映像のフレーム飛び等の障害が発生する)になる可能性があるとして警告表示がされることから、特にスーパーホワイトのチェックが厳しく行われている。

 

 したがって、正規の映像信号範囲のみの使用であれば220階調しか使用できない。CG製作工程で、色彩設計を行う担当者が映像信号系での階調範囲を理解してカラーパレットを設計していれば問題は無いが、作業に使用しているパソコンやワークステーションのOSが32ビットや64ビットの時代に、放送用で納品する映像作品が8ビットの帯域であることは、はなはだ時代錯誤ともいえる現象である。256階調で色彩設計を行って、カラーパレットを指定した場合には、レンダリング後のデータを映像信号伝送範囲内に入るように変換する工程が必要となるが、表2に示すように正規化係数を個々に演算して変換するか、各RGBのビット値に対応した変換ルックアップテーブルを使用するかで作業効率は異なってくる。個別に演算を行った場合には、演算結果の丸め誤差により、それでなくても220階調しか許されていない8ビット映像の表現範囲で、階調飛びが発生してしまう現象や、正規範囲内での色再現が色彩設計担当者や監督の意図する色彩・階調表現となっているかを検証する必要があることは言うまでも無い。

 

 
表2 規定範囲・拡張範囲の階調比較
ビット幅 CG 規定範囲映像信号帯域 拡張範囲映像信号帯域
階調数 正規化係数 階調数 正規化係数
8 256 220 0.8593750 254 0.9921875
10 1024 877 0.8564453 1016 0.9921875
12 4096 3505 0.8557129 4064 0.9921875

 この、現行の放送用映像で許されている各色220階調の範囲が、拡張範囲まで使用可能となると、実に254階調まで使用できることになり、ハリウッド映画のDVDでも再生機器でスーパーブラック再生を有効としたときの豊かな黒の質感表現を体感できることとなる。さらに、テレビ放送を10ビット対応とすることにより、正規範囲でも887階調、拡張範囲まで使用すれば、実に各色1,016階調での映像表現が可能となることから、映像表現の質感表現、臨場感表現が増大することになる。スーパーハイビジョンの国際標準化については、MUSE方式ハイビジョンで米国放送業界との軋轢から、1画素の縦横比が1:1でCG画像との整合性が無い、英語表現でのビジョンは、単なる映像の意味では無く未来感や思想的な表現を意味する等のほとんど言いがかりに近い議論が沸騰したことについては様々な書籍が執筆されている。この轍を踏まないように、NHKは当初から欧州放送連合との連携を行い、デジタルシネマで4K映像が規格化された後の次世代映像としてスーパーハイビジョンの用語を使用している。ただ、お隣の韓国では前述のITU-R BT 2020を受け、4K映像もスーパーハイビジョンとして使用していることもあり、衛星放送も含めた放送業界関係者の間で4K/8Kのどちらがスーパーハイビジョンなのか混乱を生じている。4Kまでは、既存のHDTVの高解像度化であり、8Kは究極の高精細映像、そして次世代映像の旗頭としての意味を含めてスーパーハイビジョンと称している。

 

 さて、撮影時にスーパーブラックはどのように管理すれば良いのであろうか。1970年に発行された英国放送協会のテストチャートには、このスーパーブラック用テストチャートが規定されている。9段階のグレイスケールチャートの中央部に、開口部がもうけてありマジックテープで取り外しが可能な黒色フェルト貼りの箱を装着する形式である。このスーパーブラック部分の反射率は標準反射板に対して0.6%と規定してある。ビデオ信号の0Vを正確に設定するためには、このスーパーブラック対応テストチャートを使用して0〜5%の信号帯域を検証することが必要である。一方で、スーパーホワイトは700mvであるビデオ信号100%を超えた100〜109%の帯域である。

 有機ELディスプレイは自己発光であるために、環境光による影響をなくせば完全な黒の締まりが再現できるディスプレイである。この有機ELディスプレイで、様々な映像作品を鑑賞した方が驚かれるのが、“作品毎に黒がばらついている”との感想である。単純にレンズキャップを装着してゼロレベルを合わるだけでは、実際の映像入力がある状態での0〜5%レベルでの黒の締まりは調整できていない証拠である。また、最近のCMOSイメージセンサーでは、低照度撮影時の雑音特性が問題になることから、スーパーホワイト側に勾配を設けたLogガンマを設定する機種が増えているが、このような機種では雑音防止回路による影響もあることから、特にスーパーブラック側での調整が必要になる。

 

 

 筆者は、HDTV解像度10ビット非圧縮で製作した標準映像製作に関わっていたが、撮影から再生までを非圧縮で管理した映像の持っている表現力には圧倒されるものがある。立体感を自然に感じると同時に、臨場感のある豊かな色彩再現には伝送帯域幅の制限、製作費用の制約などから、撮影時点の圧縮・色信号間引き、編集時点での様々な圧縮による劣化を経た映像とは比べようも無く、映像に関わる技術者には、このベースバンド映像を目に焼き付けていただきたいと強く感じたものである。今後の、民生用映像機器の企画・開発に関わる関係者の方々は、家庭に届いている映像のビット幅と圧縮による画質の現状を正しく理解していただく必要がある。営業的な目立ちやすさだけで解像度を上げても、実際に家庭で視聴できる映像の解像度と乖離があるのが現実であり、日本の地上波デジタルにしても、民放各局に納品される映像素材はHDCAMフォーマット(3:1:1サンプリング)であることから、水平解像度は1,440画素で納品され、送出時に1920画素にアップコンバートされている。ディスプレイメーカーが、フルHDを標榜して店頭に商品を並べても、フルHDで収録・製作・配信された水平解像度1920画素の映像を家庭に届ける仕組み何も無いことには疑問を感じている。また、HDCAMフォーマットでの映像素材納品についても、制作時のフォーマット、色信号ダウンサンプリング、圧縮方式などについては何の規定も無い。4K/8K放送の実用化に向けたテストベッド構築は是非とも進めていただきたい施策であるが、日本のみの運用基準となっている白色9300ケルビンを早期撤廃し、基準となっているRec.709での6500ケルビンに統一していただきたい。9300ケルビンは、いわゆるパソコンモニターでの白色であり、高度成長期に店頭展示した自社ディスプレイのデモ映像を派手にみせるためにしか存在意義は無いが、日本以外の国では全く相手にされない白色である。

 

 さて、スーパーハイビジョンでの12ビット映像が家庭に届くにはしばらく時間がかりそうであるが、8ビットと10ビット映像で拡張帯域を使用した映像作品についての実現性はかなり高いといえる。現行の映像関連機器では、DVDやブルーレイ再生機器の一部製品で拡張帯域をサポートしているが、大半の機器ではファームウェアでこの信号帯域を規制している。本来の、同期信号用帯域のみを規制して、拡張帯域を有効にすることはファームウェア更新で基本的に対応できることになり、既存パッケージメディアでも映画作品を主体にして、拡張帯域をすでに使用していることから、8ビット映像ではほとんど問題が無く、この拡張帯域を使用できる。 さて、既存パッケージメディアが10ビット・12ビット映像に対応できる可能性は、市場規模の縮小から難しいところがあるが、いわゆる特典映像などをつけずに、10ビット拡張帯域対応の高画質版でオーサリングすることにより、ホームシアター向けとして新規市場を形成できる可能性は十分にある。これに対して、ネットワークでのUDPプロトコルによる配信であれば、10ビット拡張帯域で映像作品を家庭に届けることに何ら問題は無い。将来を見据えて16ビットTIFF形式映像ファイルを独自圧縮方式により配信し、5千円以下のネットワークアダプターで受信し、外部接続のHDDにワンタイムもしくは再生可能回数制限付きの形式で展開することは明日にでも実現できる技術である。そして、対応するディスプレイが、拡張帯域に対応して10ビットでの階調再現とともに、不要なフォーマット変換や、輪郭補正・強調処理をバイパスして素直に再生してくれれば、映像クリエーターが意図するマスター画質を家庭で体験できることになる。

 

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