次世代デジタルシネマの目指すところ

 

本稿は、(株)ユニワールド発行の月刊FDI 2015年6月号に連載された記事をWEB閲覧用に筆者が再編集したものである。

              デジタルルックラボ 川上 一郎             


 4 月に開催されたNAB2015 でのデジタルシネマ関連セミナーでドルビーラボラトリーのRobert Atkins 氏が“TheCreative Intent”と題して講演した内容が話題を呼んでいる。この講演自体はドルビーがクリスティーと業務提携してAMC チェーンの旗艦スクリーンに対して展開している高画質デジタルシネマの概要に関する講演であったが、最近話題のHDR(HighDynamic Range Photo:iPhone に実装されており、従来の撮影では白飛び・黒つぶれとなってしまう領域に異なる感度範囲で撮影した映像を重ね合わせて高画質化した映像)や映像に合わせてサラウンド音声が自在にコントロールできる次世代サラウンドシステムの講演である。


 クリエーターが映像表現で物足りなさを感じるのは色味と階調再現、そして質感などで表現されるが特に色味については科学的アプローチが無いと大変なことになる。撮影時のカメラセッティング、照明条件、録画装置の色信号ダウンサンプリング等なの関連情報が管理がされていないまま、カット毎に思いつくままカラーグレーディングを行ってしまうと収束しないまま編集工程の時間切れを迎えてしまう結果となる。

 

 


数式1 は、この関係を示している。元のCreative Intent を直訳すると“創造性の意図”となってしまうので、「創作者の意図する表現」と意訳して考えると、デジタルシネマ時代の豊かな色彩表現に必要なのは科学的手段と芸術的創作の関与する指数の関係式が分子となり、分母には色差情報ビット幅が関与することになる。科学的手段には指数が直接乗算され、芸術的創作には1 -αで指数が乗算されるので指数の値は0.3 ~ 0.7 前後が現実的と考えられるが、Δ Color Volume で表現されている色差情報ビット幅については撮影に使用するカメラが大きく関わってくる。

 


 図1 は、現在のデジタルシネマ制作で頻繁に登場してくる色空間変換に関わる各種応答関数(ACES,Cinema Gamut 等でハリウッドの主流であるOpen EXR は目的が異なっている)のxy 色度座標を示している。図2 は、視覚できる色彩範囲を対象とした色応答関数のxy 色度座標である。 

 

 

表1 には、基本となるCIE のRGB 座標値から4K/8K の次世代テレビ規格であるBT.2020、そして現在のデジタルシネマ配給に使用されているDCI-P3、この拡張版であるDCI-P3 +、よりフィルムを意識したCinema Gamut, そして初期のデジタルシネマ配給時に使用され現在ではイベントシネマでの高ダイナミックレンジ上映時のカラーギャマットとして注目されているP7V2、デジタルテレビとポストプロダクション工程での基準色空間であるBT.709、 デジアナ変換で放送としては姿を消したNTSC、PC での作業時に基準となるAdobe RGB、そして米国芸術科学アカデミーが提唱し富士フィルムがサポートしているACES がある。


 なお、8 ビットや10 ビットのPC 上でのRGB 色空間については表1 以外にも多数のRGB 座標値が定義されていたり、グラフィックカードやゲーム機で知らないうちに独自のRGB 色空間で映像を提示されていたりするので、基準とするデジタルデータによるカラーチャートでの検証などが必須となってくる。


 さて、実写撮影を伴う映像作品ではカメラの選定が最も重要であることは言うまでも無い。ジョージ・ルーカスによるデジタルシネマへの挑戦ではソニー厚木に何度も足を運んで当時のHD 撮影用カメラを改造してデジタルシネマ用カメラを開発したが、現在では30 機種以上のシネマ撮影用としてレンタル市場に投入されているカメラが乱立している。

 


 添付の2015 年カメラ一覧表はLights Online Film School ( 資料引用元:http://lightsfilmschool.com/blog/wp-content/uploads/2015/05/LFSCameraChart2015.pdf) が作成した主要8 機種の性能一覧表である。ARIIALEXA、Red Dragon、Sony FS700R、Canon C100 Mark II、BlackmagicBMPC4K、Canon 5D Mark III、SonyA7S、Panasonic Lumix GH4 の8 機種が掲載されており、シネマ用最高級機種からシネマ用動画撮影機能付きデジタル一眼レフカメラ迄が並んでいる。レンズマウントもシネマ用カメラレンズのマウントとして主流であるPL マウントから一眼レフカメラ用マウントまで多彩であるが、採用するレンズマウントにより手持ちのレンズを使用するのか、レンタルで撮影シーンに合わせた多様なレンズ構成とするのかが予算的にも大きく変わってくる。


 JPEG やMPEG の画像圧縮処理による画質劣化を防ぐために生データに近いRAW データでの出力対応機種がシネマ専用機では主流になっているが、必ずしも非圧縮生データでは無く独自方式のビット幅圧縮やウェーブレット演算による周波数成分圧縮が行われている。一般的にはRAW データ出力対応がシネマ専用機で、MPEG,JPEG 等のコーディック出力しか対応してないのが民生用シネマ機となる。また、出力データのビット幅についてはARRI-ALEXA が12 ビットRAW データ対応であり、価格で衝撃を与えたブラックマジックのBMPC4K がロスレス圧縮ながら12 ビットでの出力に対応している。他の機種ではAVCHD、MPEG、PRORES、MPEG4、XAVC 等多種多様であり、当然のことながら色信号のサブサンプリングや輝度情報のブロック化による圧縮処理が行われている。


 フレームレートも同様に基本となる毎秒24 フレームを基本として、テレビ放送対応での25/30 フレームにしか対応しない機種から低速(0.75、1 フレーム)や高速(75 ~ 200 フレーム)対応等で差がでている。最も高速フレームレートでのビット幅や信号形式に加えて基本録画記録媒体と信号形式での能力差があるので一概には性能の優劣は計りにくいところである。
 シャッターも大半のシネマ対応機種では回転円盤によるシャッター機構を採用しており、CMOS センサーの電気雑音と、光励起電荷の転送効率が悪いことからくる残存電荷雑音に対する対策として機械的に光を遮る方式を採用している。制御範囲や制御角度の精度は当然のことながら本体価格に比例している。

 


 撮影時の基本ISO 感度は800 が主流であるが、低価格機種では100 の機種もある。図4 にはCanon 一眼レフでの総合的な評価を行っているサイト(http://www.thedigital-picture.com/)でEOS5D MarkIIIのカメラノイズを測定した結果を示しているが、ISO100 でのノイズに比べISO800から粒状ノイズが目立ち始めている。当然のことながら機種毎にISO 感度とノイズの特性には大きな差があることは言うまでも無い。レンズの絞りは1 ステップ増える毎に絞り機構の有効開口面積が半減する設計となっているがデジタルシネマカメラのダイナミックレンジ表記でも14Stop 等と称している。ただし、商業映像として評価に耐えうる撮像範囲なのか否かについての基準は無いので使用者が撮像可能なダイナミックレンジを判断するしか無いのが現状である。

 


 図3 に示しているのがデジタルシネマ用カメラの特性評価を積極的に行っている現職撮影監督によるサイト(http://www.cinematography.net/) による最新のカメラ比較結果である。最新機種であるAJA Cion、ARII ALEXA、ARRI Amira、Sony F65、Blackmagic URSA、Canon C500、Blackmagic Pocket、Panasonic VARICAM PL、Panasonic VARICAM HS、RedDragon Low Light、 Red Dragon Skin、Digital Bolex 等撮影現場で使用されている最新機種が評価されている。
 
 デイライトとタングステンの設定による各カメラの露光特性を比較しており、DSC チャートとコーカサシアンの女性とアフリカンの男性が暗幕を背景にして撮影されている。図3 に示しているURL リンクで評価結果の表示サイトに入り、各機種の画面で右クリックして個別機種の表示画面に飛んだ後に再び右クリックしてファイル保存すれば高画質でのDPX ファイルがダウンロードできるのでDPX ファイル対応のキャリブレーションモニターを使用して確認いただければ非常に興味深い機種毎の特性差が確認できる。ざっくりと見るだけでもカラーチャートの色再現バランスや暗部の表現力、肌色の表現力等に機種差がはっきりと出ており、映像制作者が意図する表現が正しくデジタルデータとして記録されているのかを検証する必要がある。


 図1 でも紹介しているACES は多種多様な撮像手段や表示手段での色空間変換を精度良く行う為に開発された色空間変換手段であり、撮像機器の持っている色空間表現能力をACES 色空間に変換するための入力変換係数、ACES 色空間を正しく再現するための出力変換係数の定義が重要な要素である。問題となるのは撮像機器の入力変換係数の定義であり、当然のことながら撮像機器の感度特性、ガンマ設定やクランク・ニー等の明・暗部での階調変化設定によりACES への入力変換係数が異なってしまうことにある。たとえばARRI ALEXA ではISO800 の入力変換係数は公開されて検証されているが、撮影する作品によってISO感度設定が異なった場合にはACES 入力変換係数はユーザーが独自に作成検証を行わなければいけない問題が残されている。
 また、撮影現場での色温度補正や感度補正の問題でカメラ特性に関わる設定を変更した場合にも米国撮影監督協会が提案したCDL(Color Decision List) とACES 入力変換係数のみで撮影シーンのカラーグレーディングが自動化できる訳では無い。フィルム時代のタイミングと称されていたネガ現像から複製を作る工程での現像スペシャリストの職務の大半を代替することはできても監督OK となる為にはカラーグレーディングによる詳細な調整が必須であることは当然である。


 数式1 に示されている映像制作クリエーターの満足する“色味”・“階調”・“質感”などの様々な言葉で表現される映像表現を科学的手段の充分な支援の元に最大の生産効率で行う為のテクニカルマニュアル作成は非常に興味深い課題である。撮影時の色空間再現に必要な白色点の色温度、階調再現に関わるカメラ特性(ガンマ・ゲイン・ニー)、使用レンズの光学・色再現関連基礎データ等に加えて、デジタル収録での有効ビット幅などが現場では想定される。編集工程では、複数のモニターが同時並行で使用されるために各モニター間での色再現誤差を最小化するためのキャリブレーション手段と頻度の最適化、そして最終カラーグレーディング工程での各種カラーチャートでの色再現データ管理・校正の最適化が必要となる。また、外注先でのCG 素材の色指定についてもCG クリエーターが使用するPC 機種とモニター構成を確認し、外注先CG クリエーターが勝手に色データを改変しない為の検証手段も考慮する必要がある。
 次世代デジタルシネマを牽引することが期待されているHDR シネマについても、明・暗それぞれの帯域でどのように階調再現を補完するデータをパッキングするのかが課題となっている。テレビや次世代ブルーレイ向けコーディックではHDR 映像向けにエンハンスド・レイヤーと称するダイナミックレンジ拡大の為の補完映像を映像ストリームに加えることが検討されているが、デジタルシネマの現行規格もHDR 対応やオブジェクト型デジタルサラウンド対応、衛星配信やイベントシネマへの対応も考慮した新DCP 形式への対応が話題となり出している。

 


 図5 は冒頭でも紹介したドルビーシネマの映画館内装イメージである。 特徴的なところはスクリーンが館内にせり出したフローティング設置となっているところであり、従来のバックヤードとの隔壁部に設置するスクリーンでは無くカーブスクリーンのフレーム自体を客席側に張り
だす構造となっている。目的としては音響透過穴が面積比率で5%程度開けられているサウンドスクリーンを空中に設置することで、従来のバックヤードからの主音響がスクリーンフレームの周囲からも客席に向かうことからスクリーン面の音響透過穴総数を低減させ、黒白格子で測定するイントラフレーム方式での画面内コントラスト比は確実に改善する効果を狙っているのではと考察する。当然のことながら、使用するスクリーンは背面側にブラックコーティングまたは黒色フィルムを貼り合わせたタイプを選択することがより効果的である。
 また、客席内の壁面も特定周波数帯域での残響が発生しないようにランダムな斜面をもうけており、ドルビーシネマの特徴であるMoving Sound(従来の包み込むサラウンド方式立体音響では無く、演出効果を上げられる特定の音が客席内を移動していくオブジェクト方式立体音響)の効果を上げるとともに、スクリーンへの再帰反射を最小限にする設計となっている。なお、フローティングスクリーンが客席正面側の壁
面をしめる割合は究極に近いまで大きくしておりスクリーンへの没入感を高める工夫がなされている。
 同様に、客席の素材や配置についても画面への没入感を高めるとともにシネコン内での旗艦スクリーンであることがはっきりとわかる高級感とリラクゼーションを唄っている。最近の映画関連記事でも、今後の映画館差別化は“三つのS (Sight, Sound,Sheet)”が話題となっており、立地条件やシネコン旗艦スクリーンのプレミア化に合わせてドルビーやDTS、Barco 等の次世代デジタル立体音響、そして豪華な客席がキーワードとして上げられている。
 
 戦略的にはIMAX に対抗した大画面プレミアスクリーン方式で米国第二位の映画興行チェーンであるAMC と提携したことにより米国市場での実績を積み上げてIMAXを越える大画面プレミアスクリーン方式の市場獲得が目的であることは明確であり、今後の稼働実績や評判が大いに注目される。また、静止画では定着してきたHDR 映像をどのようにデジタルシネマに応用していくのか、そして3 方式が混在している多チャンネルデジタルサラウンドの規格統一(オブジェクト指向サラウンドデータの将来性を見据えた)が大きな話題となってきており、衛星配信やネット配信が主流となっていく中でのDCI 規格全面改定なども話題になり出してきている。

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